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顕密寺について

縁起・歴史

顕密寺本殿当寺は七十五代崇徳天皇之年1123年御代勝北群小吉野庄に紀州根来寺の覚ばん上人が十一面観音、五大力明王を造り精舎を建立されたことを発祥の地とする。
承久3年(1221)には承久の変に敗れた後鳥羽上皇が隠岐へ配流される途次、小吉野庄にあった当寺に立ち寄られ勅願の法施の御沙汰あり、現在(毎年2月第1日曜)も厳修している「五大力餅会陽ごだいりきもちえよう」もこの勅願依る。(詳しくは、五大力餅会陽の由来・当日の日程へ)又、後醍醐天皇叡聞に達し、両部曼荼羅を下賜され、足利将軍公も、祖父尊氏公より家伝の涅槃像を奉納された。しかし、このように降昌を極めた小吉野に於ける238年間の(天治元?嘉慶元年)の法灯も戦火の為、逃れて英田郡巨勢の庄大山へ移る。顕密兼学の学侶が集まり研鑽を積み(当寺の寺号は、顕・密両教の修行の道場であることを表している)足利、細川家の祈願寺とし、多くの参拝者も集め美作一円の寺院頭として、栄えるも天正7年(1579)兵火の為一山焼失、本尊脇仏二?、四大明王、古文書、古器汁物一切堂塔と共に灰燼に期し、218年間(元中5年?天正7年)続いた大山時代も終わり、火中より災禍を免れた御本尊十一面観世音、不動明王は宮谷に祭祀され、戦乱の世なれば再建することが出来ず、後、江見之庄、江見治郎の孫治右衛門祖父の志を継ぎ、地所を、奉納、現在地に再建した。

宗派

このお寺は 寶鑰山(ほうやくさん)遍照院 顕密寺です。

宗派は
真言宗御室派
教主は
大日如来
宗祖は
弘法大師(御名 空海)
本山は
京都御所旧御室御所 総本山 仁和寺
御本尊は
十一面観世音菩薩
御真言は
オン マカ キャロ ニキャ ソワカ

弘法大師は宝亀五年(774)六月十五日香川県善通寺にご誕生になり、承和二年(835)三月二十一日高野山の奥の院にご入定になりました。

弘法大師が示された教えのあらましは次のとおりです。
われわれは、心と言葉と行いを清め、正しくすることによって、本来わが身 にも仏と同じ徳が具わっていることをさとり、これを日々の生活に生かしていかねばならない。
そして、大日如来を中心にして、宇宙の秩序を現わす、胎蔵、金剛の両部曼荼羅の世界と、この世とを一致させるように心がける。そして、実現する理想社会を密厳国土という。

また弘法大師は、みずから入定の後も、永遠に衆生を済度しようとのご誓願をお立てになりました。

この、弘法大師のご誓願におすがりするとともに、相いつくしみ、相調和する仁和の精神を持ち、由緒深い歴史と、風格に富む伽藍をもつ仁和寺を中心とした寺々の集りが、真言宗御室派です。

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